インタービュー:腫瘍内科の目指すもの
(このインタービュー記事は月刊誌「サイト」に掲載されている記事の原稿です。)
――最初に、腫瘍内科とは何かというのを簡単におうかがいできればと思うんですが。
「腫瘍内科というのは、がんの治療を内科的に取り組む医師ということですね。同じがんに取り組むと言っても、外科の場合には胃がんの外科だとか大腸がんの外科だとか、だいたい臓器の領域で割り振ってるんです。でも内科の立場でがんに取り組むということになると、治療手段は主に薬、つまり抗がん剤を使った治療ということになりますよね。そういう領域を専門とするのが腫瘍内科です。だから、なかなか従来の循環器とか呼吸器っていう臓器ごとの枠組みにうまく合わないというか、各分野に散らばってるわけですね。そういうところをひとつのくくりとして抗がん剤治療の専門家ということで、それが腫瘍内科だと言っていいと思います」
――そうした抗がん剤治療の専門家として腫瘍内科が出てきたわけですけども、その裏側の問題意識として、従来の外科的な縦割りのがん治療ではやはり弊害のようなものがあって、それを積極的に解決していけるということもあるんでしょうか。
「そうですね、それは間違いないと思いますが、がんの治療において悪いところを切り取るという外科的な治療は、確かに重要であることには変わりがないんです。だけども、切り取れたと思ったようながんでも、ちょうどタンポポの種が風に吹かれて遠くの土地に飛ぶように、目に見えないような形で体全身に広がってることがあるんです。つまり、体全身に効果の及ぶような治療をしなきゃいけない状況なのに、部分的なところをチョキチョキと切り取って、それで治りましたと言ってしまう。で、その中で抗がん剤治療というものが一九六〇年ぐらいからじわじわと世界的に広まってきたけれども、外科医からしてみれば、やっぱりこの抗がん剤を上手く扱えないわけですね。上手くマネージメントできないから、ほんとだったら例えば十という分量使わなきゃいけないのを、副作用をやたらに恐れるあまり半分の分量にしてみたりして、確かな効果が得られなかったりする。で、内科医から見れば、十分な効果を出しつつ、吐き気止めとか抗生物質とかをうまく使って副作用を中和しながら抗がん剤治療をやる技術を持ってるわけです。その内科サイドからのがん治療への参加がずっと日本では遅れていたんです。だから海外で当たり前のように使われている薬もそのよさをあんまり認識してなかったので、それを日本に導入して患者さんのために早く使おうという意識も今までちょっと乏しかったわけですね」
――なるほど。昔はがんは告知すらほとんど行われていなかったし、そういった意味では内科サイドが出ていく幕がなかったというか、本人も知らないところで外科的な治療が行われて、その後追いで一応の抗がん剤治療が行われていたような状況だったわけですよね。
「そうですね。まさにおっしゃる通り、例えば胃がんなのに胃潰瘍ですと言って手術をして、治りましたよと言ってるうちにそれが肝臓に転移してしまう。そういう経緯を辿っていく中でも、患者さんは自分ががんだと知らされなかった。それから抗がん剤という治療の選択肢があるということもわからないわけだから、抗がん剤の専門家に診てもらいたいというニーズは出てこなかったわけですよね。だけど医療自体の変化でがんも病名を正しく告知して説明するっていうことと合わせて、もうひとつは抗がん剤がよくなってきたってことが変化の要因として大きいですね。ここ十年二十年ぐらいで、かなり効果のいい抗がん剤が出てきたんですよ。だから、それをうまく使いこなす真のニーズがやっと出てきたわけですよね。そういう点で、ここ五年ぐらいは外科側からぜひとも一緒にやりましょうと言ってくるようになりました。僕がまだがんセンターにいたときはまだ外科との凌ぎ合いみたいなところがあったんですが、やはり我々が担当していた患者さんのほうがハッピーになったわけですよ。同じ抗がん剤治療をやるにしても、外科が診てる患者さんの場合は副作用が出るのは当たり前だ、がまんしろ、みたいなスタンスですよね。だけど我々はいろいろ副作用を打ち消すようにして、ほとんど外来だけで治療できるようになってきてましたから。そうすると、やっぱり患者さん同士が『内科の先生に診てもらったほうがいいよ』っていう感じになってきたわけですよ。それまでは内科医が病棟に入って行くと、死神がきたみたいに言われてたんです。あの人はもう外科が見放して内科に回されたと。だから、そういう状況がだんだん変わってきましたよね」
―― 我々のように医学業界の外側にいる者としても、九〇年代前半ぐらいまで抗がん剤ってすごく害は多いけども役に立たないっていう、特に近藤誠先生の『患者よ、がんと闘うな』みたいな、抗がん剤なんて効かないんだっていう風潮がかなりあったように思うんですね。それが最近は抗がん剤ってやっぱりきちんと使えば効くもんだし、ちゃんとした治療法はあるんだぞっていう風に変わってきたような印象がありますよね。
「そうですね。九〇年代の前半と後半でガラッと変わったのは確かです。だから、今はそういう論調に賛同する人はほとんどいないですね」
――で、腫瘍内科という分野を通して外科と内科の連携がとれてきて、それはほんとにすばらしいことだと思うんですけれども、じゃあ日本で腫瘍内科がまだまだ足りないと言われているのはどうしてなのかな、と思うんですが。
「足りないことは事実なんだけども、増加率を見たらそうとう増えてますよね。ただ、そのニーズに圧倒的に追いついてないから、やっぱり時間がかかるんですね。だからとりあえず今できることは、外科の領域でがんに携わってる人たちに、抗がん剤治療の知識をもうちょっと持ってくれ、と言うことです。そうすると目に見える形で腫瘍内科医が増殖してるわけではないけども、実際に技術を持った人、知識を持った人の数が増えてきてるのは間違いないですね」
外科に見放されるがん難民
―― そうすると今までよく言われてきた問題として、例えば再発がんとか進行がんで内科的な全身治療が必要とされている患者さんが、各病院の外科を回って、もううちでは診れないと言われてたらい回しになったり、がん難民という言葉もあるぐらいですが、そういった形で悩んでいる方も今後は減っていくんですか?
「そこらへんがやっぱり一番の問題で、例えばこの前大腸がんだった患者さんがここにセカンド・オピニオンを求めてきたんですが、三年前ぐらい前に非常に有名な病院の院長先生がじきじきに手術をされたということだったんですね。で、手術が終わってから抗がん剤治療の話がちょっと出たって言うんですが、まあやってもやらなくてもいいでしょうみたいな言い方をされたので、じゃあなしでお願いしますって言ったそうなんですよ。そしたら三年経って肺に転移が出て、医師にあんたが自分で抗がん剤やらないって言うからこうなったんだって言われて、患者さんが自分のせいにされたって泣きながらここにきたわけですよ。その方はもうホスピスにうまく橋渡ししなきゃいけないような状況だったんですが、最初に治療をやった先生が紹介状も書いてくれないし、僕が書くにしても経過がわからないわけですね。それががん難民の生まれる理由のひとつなんですが、外科から見ると再発がんっていうのは敗北だ、ということなんです。で、敗北した作品はもう目にしたくないからどっか行ってくれみたいなことを言う外科医はけっこういます」
――名前の知れている大きな病院でも、まだそういう話を聞くことはかなりありますよね。
「ありますね。だけど、やっぱり僕らは違うんですよ。転移が出た患者さんがお見えになったときに、まず何ができるかと考えて、病気を完治してくれって言われても、それは無理かもしれない。だけども、悪い症状を取り除いてこれぐらい生き延びることはできるかなっていうことは提供できるわけですよね。例えば、放っておけば三ヵ月ぐらいの余命でお孫さんの幼稚園の入園式も見られないのに、抗がん剤治療をうまくやって小学校入学するとこまで見れたとか、そういう人はいるわけです」
――従来の余命の宣告とはまるで逆の発想ですよね。とりあえず次はこのぐらいがんばりましょう、という。
「ええ、だからがんの場合は、余命の宣告っていうのも実は全然あてにならないんですよ。余命何ヵ月っていうのは、結局今まで同じ症状で治療を受けた人の平均値みたいなものですよね。だから例えば三年ですって言われた場合に半分の人は三年以下で死んでるわけだし、残りの半分の人はそれ以上生きてる。しかもそれは少なくとも三年以上前から治療をした人なわけだから、最新の治療をした人の場合にはまた別の経過をとるわけですよ。そうすると、あんまり先々のことっていうのは正直わからないんです。だから、よく患者さんで余命何ヵ月って言われてカウントダウンをする人がいますけど、あれはまったく意味がないっていうか、あてにならないんです」
医師と患者の新しい関係
―― なるほど。抗がん剤治療が進んで、選択肢も情報もすごく増えたし、告知もわりと当たり前になってきた中で、僕は患者側の意識も変わっていかざるを得ないんじゃないかと感じているんです。先ほどの患者さんの話であれば、本人の自己決定が外科の院長先生にすごくねじまげられて解釈されて、治療の結果の責任はあんたにあるだろ、と。で、今はそれと真逆のことが必要になっていて、その最前線が腫瘍内科という場なのかなと感じたんですけども。
「そうですね、もうがん告知にしても外来でのあり方にしても、基本は情報提供なわけですよね。そこでお前がノーと言ったから抗がん剤をやらなかったんだみたいな風に言うのは、人間として最低なわけですよ。だけど、今まではそれが許されてきたところがあって、偉い先生だからとか、外科の先生はお忙しいから患者からは何も言えないんですみたいな、ちょっと変なところがありましたよね。そこはまず医師と患者関係を対等に考えて、しかも基本的に我々は医療を提供して、情報を提供してというサービス業なわけだから、そういう立場であることを認識することですね。だから医学教育で情報提供のスキルをきっちり教えることと、それから外科医に限らず、医師の基本的な社会人教育ももう一回見直さなきゃいけないと思うんですけどね」
――先生はずっとそういった問題意識を持たれて、がんセンターから移ってここで腫瘍内科を設立されたんだと思うんですけども、そういった具体的な問題意識が芽生えたきっかけは何かあったんですか?
「僕の恩師に阿部薫先生という国立がんセンターの名誉総長をなさっている方がいて、僕ががんセンターに行ったときに患者さんの見方について、非常にきっちり教えてくれたんです。例えば、絶対に例外は作るな、全ての患者さんに最善を尽くしてやりなさいとか、そういう指導者との巡り会いが大きかったですね。あとはやっぱり、科学的に医療を考えるということですね。ややもすると科学的ってなんか研究だけやってるような感じだけど、患者さんの持っている問題点を分析してもう一回組み立てて、最善の治療方法を提供するっていうアプローチを叩き込まれました。だから自分の限られた経験で、この治療がいいに決まってるとかいうことは許されなくて、ひとつひとつの医療行為に関して根拠を提示して進みなさいと。それが患者さんにとっての最善の医療になるってことを学びましたね。だから次にその根拠がないものはどうしたらいいかっていうと、それは臨床試験できっちりやりましょうという話で、国立がんセンターでもここでも患者さんの協力で新しい薬の開発に取り組んでます。そういう臨床試験というのも、患者さんに対して情報を全部提供しないと成り立たないものなんですよね。そうすると患者さんに対する接し方っていうのもおのずと変わってきますね」
変わりつつある抗がん剤治療
――なるほど。抗がん剤の開発や承認に関しては、ほんとにそれを望んでる患者さんが多いと思うんです。でもなかなか政府はスピーディに動かないしっていうところで、現場の方はみなさん苦労なさってますよね。
「でも意外とね、海外で使えるけど日本で使えない薬ってもう実はあんまりないんですよ」
――そうなんですか? それはけっこう意外なんですが。だとすると、むしろ使えるのに現場では知識や手段が追いついてない、ということですか?
「その問題に関しては具体例を挙げて話さないと、とにかくアメリカに行けば夢の治療が受けられる、みたいな話にどんどん膨らんでっちゃうわけですよね。例えば大腸がんをとってみても、効果がはっきり検証されているものとかオーソドックスな治験の流れに乗っているものに関しては、日本と海外でもうそれほど差はないんですよ」
――そうなんですか。じゃあ、そういった海外との格差はなくなってきているけれども、その分選択肢は増えているから、治療の複雑さは昔よりあるわけですよね。
「複雑さはもう桁違いですよね。だから、それは確かに地域格差もあるかもしれない。それから医師によってアクセスできる人とできない人とか、知識を持ってる人持ってない人とか、そういうのは確かにあるかもしれないですね。例えば乳がんに効果のあるナベルビンというお薬がありますが、これは肺がんでの適用認可はあるけれども、乳がんではまだとれていないんです。そんなのは日本だけなんですね。だけど実際に現場の裁量で乳がんの患者さんにナベルビンを使えないことはないんですよ。別に嘘を書くわけじゃないけども、例えば肺にごくわずかな転移があるような患者さんの場合としてちゃんと書いておけば、これは肺の病気だということで使えるわけですよね」
――それは現場レベルでは、まだ融通の利かないところも多いなという感じなんですか?
「融通が利かない人もいます。僕の知ってる多くのところは融通を利かせてやってるけども、公式にはやっぱり使えませんって答えざるを得ないわけですよね。でも、やっぱりそれが患者さんにとって一番の利益になるっていう専門的な判断ならば、それは積極的に使っていくべきだし、僕はそういう風にしてますけどね」
――最後に、国立がんセンターに対して何か、注文はありますか?
私自身、北海道大学を卒業し、2年間の初期研修を終了してから、国立がんセンターのレジデント試験をうけたわけです。試験を受ける何ヶ月か前に上京した際に国立がんセンターを見に行ったんですが、日曜日だというのに、若い研修の医師が大勢、廊下を歩いている姿が印象的でした。癌治療の勉強をしたい、という情熱と、がんセンターに対する憧れみたいなものがあったのをおぼえています。それは今でも、同じですね。ただ、歴代、強烈な個性のある総長が、すばらしいリーダシップを発揮し、方向性を打ち出してきていたのですが、今の、垣添総長になって、それがまるでありません。かれは、決められたことはきちんとやる優等生タイプですが、人が考えつかない様な発想とかは全然ないし、おきまりのことを、誰もが思いつくような方法でしかやっていないですね。しかも、すぐに感情的になるし、好き嫌いで人事を決めるし。まあ、確かにいま、国立がんセンターは人材難かもしれませんが、なんといっても我が国の癌医療の中核ですから、大きい視点に立って公正なビジョンを打ち出してもらいたいと思います。