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腫瘍内科医 渡辺亨チーム

プロローグ――まえがきに代えて

他に類例を見ないがんの本

 この本は、がんの患者さんやご家族をはじめとして一般の方々に、がんの標準的な治療(=エビデンス(科学的根拠)に裏付けられた治療)がどのようなものであるかをご理解いただき、闘病に役立てていただくことを目的としたものです。いろいろながんの患者さんがどのような経過をたどるのか、そして専門医が患者さんに対してチーム医療としてどのようにサポートしていくかを、症例のシミュレーションの形で紹介しています。月刊『がんサポート』誌で「医療サポート」シリーズとして連載したものをまとめました。


 がんが見つかった人、あるいは再発した人は、たいてい今まで自分が経験したことがない症状や状況に直面し、初めての治療やケアを受けることになります。当然、苦痛とともに様々な不安や戸惑いを感じ続けることになるでしょう。

「これからどんな痛い思いをしなければならないのだろうか?」

「どんな病院のどの診療科にかかるのがいいのだろうか?」

「どれがベストの治療法なのだろうか?」

「医師はちゃんと意味のある検査や治療をしているのだろうか?」

「医師は本当の病名や病状を知らせてくれているのだろうか?」

「医師の説明の意味がよくわからない」

「今かかっている医師だけでなく、ほかの医師にも意見を聞いてみたい」

「いったい治療費はどのくらいかかるのだろうか?」

「友達が熱心に勧める健康食品でがんは治るのだろうか?」

「抗がん剤は副作用が恐いというけど、治療を受けて大丈夫だろうか?」

「自分はいつまで生きられるのだろうか?」

 ほかにもまだまだ悩みの種はつきないでしょう。医療の問題だけではなく、家庭生活や職場でも想像していなかったような問題にぶつかる可能性があります。そうした時、なかなか相談できる相手も見つからないし、適切なアドバイスも得られないかもしれません。そのため、がんの患者さんは必要以上に苦しんだり、孤立したり、疑心暗鬼になったりしがちです。


 そこでこの本では、いろいろながんの病状や状況を設定しながら、患者さんご本人やご家族の皆さんが、どのような問題と出会うか可能性があるのかをエピソードとして示しました。これに対して、それぞれの分野の第一線の専門医からエビンデンスに基づいてどう判断して、どう対応すべきかというコメントをもらっています。いわばこの本はがん闘病において、「より適正な判断を導くためのヒント集」ともいえます。


 おそらくこうした一般向けの試みは、今まで類を見ないものと思われます。雑誌で連載中に読者の方々からも多くの反響をいただき、さらに「1冊の本にまとめてもらえないか」とのご要望も多かったことから、これにお応えすることになったわけです。


 この本は、3つの視点を持っています。それは「ケースカンファレンス」、「チーム医療」、「腫瘍内科」の3つです。この3つは現在のがん医療のキーワードともいえるものだと思います。

ケースカンファレンスの視点

 この本のように症例をもとに学ぶという手法は、我々医師のトレーニング法の基本ともいえるのです。医師が実際の症例をもとに勉強するやり方を「ケースカンファレンス」と呼びます。多くの病院では、ケースカンファレンスを定期的に行い、チーム医療の研鑽に努めているのです。


 がん医療のケースカンファレンスには、内科医、外科医、放射線治療医、精神腫瘍医、病理診断医などの医師ばかりでなく、看護師や薬剤師など医療チームのスタッフが参加します。その中でまず1人の医師が「この患者はこんな検査結果が出ました」とか「こんな症状の患者がいます」というふうに症例を提示します。それに対して、「原因が何であるか」、「現在はどういう状態か」、「どのような治療をすべきか」といったことを、時間をかけて徹底的に討論するのです。


 がんの臨床では、最新の医学論文や医学会で報告された成績をエビデンスとする標準治療に基づいて、それぞれの医師の臨床経験に基づく専門的な技術や知識が提供されなければなりません。が、そこには治療を受ける患者さんの希望や好みなども考え合わせる必要があるし、標準的治療といっても、ある人にとっては必ずしも正解とは限らない場合もあります。そこで、その患者さんにとって最良の治療とはどういうものか、ということが専門職の間で十分意見交換される必要があるのです。


 ところがこうした場面で、外科と内科といった立場の違いによって、まったく異なった意見が出てくるということもあります。時には「そんな見方は間違っている」「それは標準治療ではない」「こんな重要なことを見逃している」などと、口角泡を飛ばすような激しい議論に発展し、それが数時間に及ぶことも少なくありません。


 このように標準的治療と一口でいっても、専門医はそれを実践するためにはかなり時間と労力をかけて考えていくことになります。そうした徹底した討論の中で、チーム医療に関わるスタッフはどんなふうに問題を解決していけばいいのかという考え方を身につけていくことができるわけです。


 この本ではケースカンファレンスのように、がんの患者さんが自分の病気に直面して、標準治療にたどりついていくプロセスを示しました。がんの患者さんは、自分で病気のことをいろいろ学び、自分で治療法を選ぶことによって、納得のいくがん闘病ができるのです。

チーム医療の視点

 この本では「渡辺亨チーム」がいろいろながん症例に取り組む設定となっています。「本当にそんな医療チームが存在するのか?」と言われれば、もちろんこれは紙面上のバーチャル(架空)の医療チームであり、実際には存在しません。


 確かにこの本は私が全体の監修を行い、各がん症例のエピソードについては、私が具体的に「骨格をこうしよう」とアイデアを出しながら構成していったものです。そして、このバーチャルチームには、それぞれのがんの領域で日本の第一人者である専門医の先生たちに参加してもらい、医学的考証を加えてもらうことができました。


 実際のがん医療ではケースカンファレンスに参加するスタッフなど、それぞれ専門の異なった医療職が、協調して、治療を進めるたちによるチーム医療が行われています。「手術後、いつから食事を開始するか」、「リハビリをどうするか」、「抗がん剤治療の副作用対策をどうするか」など、複数の医療職が話し合い、連携しながら進めなくてはならない部分がたくさんあるのです。


 ところが、こうしたチーム医療がまったく機能していない病院もまだまだ少なくありません。たとえば同じ疾患に対する同じ抗がん剤治療なのに、主治医によって、使用する量が違っていたり、吐き気止めの種類や、投与方法が全く異なっている、という話をよく耳にします。古い体質の病院では、主治医毎に「○○先生用指示」というのが用意され、それぞれの医師の流儀に精通した熟練看護師が病棟を仕切っているのです。こうしたことが行われていれば抗がん剤の投与量やスケジュールの間違いが起こりやすく、死亡事故などの医療過誤に結びつきやすくなってしまいます。


 これまで日本のがん医療の多くの現場は外科医が取り仕切ってきました。そのため内科の視点が欠落しているという面が少なからず見受けられます。そして日本では腫瘍内科医が不足していて、十分な抗がん剤治療が受けられない患者さんが多いことは、新聞報道などでもしばしば取り上げられる通りです。


 そこでこの本では腫瘍内科医の立場を重視したチーム医療を描くようにしました。これは現実のがん医療がしばしば標準医療からかけ離れたことが行われていることに対して、せめて本の中ではバランスのよいチーム医療が機能しているお手本を示そうという狙いです。がん医療の現場では、もっとチーム医療を大切にした、風通しのよい医療が行なわれてほしいという願いでもあります。

腫瘍内科の視点

 一般に腫瘍内科医は抗がん剤療法の専門家としてとらえられています。確かに抗がん剤は腫瘍内科が用いる手段としてはとても重要な位置を占めるものです。ですから腫瘍内科医は、抗がん剤治療を行うためには薬物の特性をよく知り、それが体内でどのように働くのかという薬物動態にも精通している必要があります。そして、どのような副作用がいつ頃、どの程度の強さで現われるか、それを予防したり軽減したりする手立てはどうか、いつ頃回復するかについても十分知っていなければなりません。


 多くの患者さんにとっても、抗がん剤の有効性と副作用は、最も不安に感じるところなので、腫瘍内科医はそれを十分説明する能力も必要です。ですから、抗がん剤そのものについて詳しいだけでは、けっして腫瘍内科はつとまりません。


 もちろん腫瘍内科医は様々な種類のがんについてもよく理解している必要があります。胃がんと乳がんでは治療薬がまったく違います。がんといっても、けっしてすべてのがんが同じ性格を持っているというわけではないので、生物学的特性がどういうふうに違うかというところからよく把握していなければなりません。


 さらに同じ種類のがんであったとしても、個々の患者さんによって抗がん剤の感受性も違います。場合によっては積極的に抗がん剤治療をしても効果がほとんど期待できない場合もあるのです。そうした違いを十分知って、その人に最適の治療を提供する必要があります。


 また、腫瘍内科医が対象とする患者さんは、再発・転移がんを伴っているのが普通です。こうした患者さんは薬物療法によって一〇年、二〇年と生存される場合もありますが、一方で、数ヶ月で命を失うということもあります。すると、腫瘍内科医は一人一人の患者さんに対して、たとえば通院で治療ができるように考えるとか、患者さんが旅行に出かけられるように計画するなど、患者さんの社会的立場や日常生活などを考えながら全体的なマネジメントをすることも重要な仕事になるでしょう。


 さらに、腫瘍内科医は一人一人の患者さんのために、外科医や放射線科医、病理医などとどういうふうに治療を進めるかという交渉の前面に立つ必要が出てきます。つまり、コーディネーターとしての役回りが求められることもあるのです。


 このように腫瘍内科は内科医として基本的な素養の上に、専門家としての技術、経験、センスが求められる分野といえます。今後腫瘍内科医の重要性はますます注目されるようになり、がんに苦しむ患者さんやご家族に、できる限りの安心と安全を提供するより身近な存在となっていくはずです。


 この本では、様々ながんについてそれぞれの専門の先生からアドバイスをいただきましたが、一貫しているのはこうした腫瘍内科の視点です。がんの患者さんが診断を受けた時、あるいはある症状に見舞われた時、それをどのように解釈し、どのように治療法を選んでいくかということの中で、とくに抗がん剤の正しい使い方という面に重点をおきました。

抗がん剤治療を受けるための12ヶ条

 現在は抗がん剤治療に関する様々な情報が錯綜し、このため患者さんの中に少なからぬ誤解が生じている面があります。毎日の診療で患者さんに説明していて気づくのは、多くの患者さんが同じような問題で不安を感じているということです。そこで、私は「安心して抗がん剤治療を受けるための12ヶ条」を作りました。これは、この本の中で一貫して主張していることのポイントでもあります。最後にこの12ヶ条をご紹介しましょう。

第1条 病気を理解する

がんという病気を正しく理解することが、安心の始まりです。

第2条 治療を理解する

抗がん剤などの薬物療法がどう作用してどう効果を発揮するかを知り、その必要性を理解していただくことが大切です。

第3条 副作用を理解する

抗がん剤には副作用はつきものですが、最近は極めて副作用の軽い薬剤や副作用を打ち消すような優れた対処法も利用することができるようになりました。

第4条 副作用の対処方法を知る

副作用は我慢するもの、という考え方は間違っています。具体的な対処方法をよく理解しましょう。

第5条 健康食品、代替医療におぼれない

「百害あって一利なし」と考えるのがよいでしょう。

第6条 普通の生活を送る

「がんになったから」、「抗がん剤治療を受けているから」と、必要以上に自己規制して自分を追い込む患者さんが少なくありません。日常生活に禁止事項は何もありません。旅行、仕事、外出、買い物など、体調がよければ何をしても大丈夫です。

第7条 なんでもがんと結びつけて考えない

がんの患者さんは、どんな自覚症状も「がんのせい」と思い込みがち。「腰が痛い、骨転移かしら?」と心配する患者さんに、よく話を聞いたら「前日に久しぶりに庭の草むしりをしたことが原因」とわかった例もあります。すべてががんと関係するわけではありません。

第8条 先々のことを考えない

がんの患者さんは、「自分はあとどのくらい生きられるのか」というふうに考えがちです。しかし、同じがんで同じ進行度の患者さんでも、予後に大きな差が出ることがあります。つまりがんの患者さんもそうでない人も、「先々のことはわからない」という意味ではまったく変わりません。一日、一日を充実して過ごすことが何より大切です。

第9条 近い時期に楽しいことを計画する

たとえば「今週末に小旅行をしよう」とか、「スポーツ観戦や観劇をしよう」と小さな計画を立てて実行することは、ささやかな充実感を得る機会になります。そしてまた次の計画を立てることが心の支えになっていきます。

第10条 いい友達と付き合い、家族を大切にする

やはり、信頼できる友達、支えあう家族が大切です。病気のこと、治療のこと、家族とよくよく相談して、いっしょに考えていきましょう。

第11条 仕方ないこと、済んだことにこだわらない

「あのとき、抗がん剤をやっておけばよかった」、「もっと早く病院に行けばよかった・・・」、確かにそうかも知れませんが、済んだことにこだわっていては、大切な時間を無駄にするばかりです。今できること、これからのことを考えましょう。

第12条 納得するまで聞いてみよう

正しい情報は正しい治療の第一歩です。正確な知識を持つことが安心につながります。わからないことがあったら遠慮しないで、納得いくまで担当医や看護師に尋ねましょう。インフォームドコンセント、セカンドオピニオンは患者さんの権利です。

この本が一人でも多くのがんの患者さんやご家族の目に留まることを願っています。そして、ご闘病に役立ち、支えになることを祈っています。

浜松オンコロジーセンター  渡辺亨

2005年7月吉日

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